ヴィンランド・サガ 感想と考察【アシェラッドを深掘り】

アニメ

2019年夏〜秋にかけて全24話でNHKで放送されたアニメ「ヴィンランド・サガ」。2019年に放送されたアニメではダントツに出来が良かったので、その感想と考察です。特に一番魅力的なキャラ、アシェラッドについて詳しく書きます。

※ネタバレ満載なので、未視聴の方は注意してください。

TVアニメ「ヴィンランド・サガ」公式サイト
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©幸村誠・講談社/ヴィンランド・サガ製作委員会

硬派な作画と美しい景色

ストーリーは硬派で、それに合わせて硬派な作画がずっと続きます。こういった真面目系のアニメでは、デフォルメしたような崩した作画が出てくることがよくあります(「魔法使いの嫁」や「鬼滅の刃」など)。真剣な話をずっと見ていると疲れたり飽きたりする場合があるのでその息抜きのためかもしれません。その代わりに世界観が気抜けしたような印象になって締まりがなくなり、キャラクターに一貫性がなくなるというデメリットもあります。このアニメではそういうことがなく、一貫して真剣な姿勢が貫かれているため世界に入り込みやすくなっています。

作中では、北欧の美しい景色がたくさん出てきます。特に雪が降り積もる土地では、太陽の光や雪の照り返しが丁寧に描かれていて、厳しくも美しい雪原が見事に描かれています。特にクヌート王子が十字架を立てたりするシーンやアシェラッドがビョルンに引導を渡すシーンの雪原の美しさには目を見張りました。それ以外にも広大な冷たい海が出てくるシーンが多く、澄み渡るような青色は見ているだけで気分がすっきりします。

丁寧すぎて少しテンポの悪いストーリー

中世のイングランドやアイスランドが舞台。そんな時代に暴れまわっていたヴァイキング(海賊+盗賊のような存在)の一員となった少年が成長していく物語。戦争シーンが多めで、政治色のあるシーンも若干出てきます。

非常に丁寧に一つ一つ噛みしめるようにストーリーが進んでいくのですが、それゆえに少しテンポの悪い部分もあります。ヴァイキングの残虐性を表現するシーンが多すぎて内容が重複している印象がありましたから。

戦闘シーンが格好良くて迫力満点

戦闘シーンが非常に格好良く立体的な視点で描かれていて迫力があります。特にトールズvsアシェラッド戦は素晴らしいので必見です。トールズの圧倒的な強さとアシェラッドの知略がぶつかり合います。特にトールズの蹴りのシーンの圧巻。またロンドン攻防戦でのトルケルvsトルフィン戦も迫力満点でした。トルフィンの素早い立体的な動きやのっぽのトルケルの半端ではないパワーがしっかり伝わってきます。

主人公はアシェラッド?

アシェラッドがこの作品で最も目立つキーであり魅力のあるキャラです。主人公トルフィンが地味で一辺倒な性格なため、アシェラッドが主人公であるかのごとく存在を持っています。トルフィンの父であり英雄のような立派な戦士であるトールズを殺し、クヌート王子の親代わりのような存在であるラグナルを殺すなど、他のメインのキャラに大きな影響を与えて人格を変化させます。怨みを買うような行動をするのですがそれでもトルフィンやクヌートからはある意味信頼されているという不思議に人を惹きつけるような力を持っています

またアシェラッド自身は、元王女でありながら使い捨てられた奴隷の母から産まれ、ヴァイキングの父を自分の手で殺しています。そしてその母の影響をずっと受けています。本人も業を背負っているんです。

悪の親玉というポジションでありながら、行動や戦い方が知的で人をよく観察するという特徴があり、それがアシェラッドの強さです。戦闘力は高いですが、トールズやトルケルほどではありません。にも関わらず彼らを倒す(もしくは仲間に倒させる)力を持っており、ある意味最強です。

視聴者からすると、考え方が浅く幼いトルフィンやクヌートには感情移入しやすいです。それゆえにその大切な人を殺される時には苦しさが伝わってくるため、アシェラッドには並ではない感情を抱きます。それなのにその知力には勝てず一緒に行動して頼りにしてしまう複雑な感情も理解できるんです。

だからこそ最終話でアシェラッドが死ぬシーンはなんとも言えない気持ちになります。あれだけ人を振り回してきて賢かったアシェラッドがこんなに早くあっけなく倒れるのが信じられないんです。アシェラッドはこれまで難しい局面もなんだかんだでほぼ無傷で乗り切ってきましたから。

アシェラッドが求めていたものとは?

アシェラッドはただのヴァイキングの頭領ではなく、あるものをずっと追い求めています。奴隷の母が求めていた、伝説に登場する英雄アルトリウスです。今は傷を癒しているがいずれ帰ってきて豊かな土地での暮らしを提供してくれるという軍神ですね。ですのでトルフィンや決闘の立会い人は誓いの口上で「オーディンの名において〜」と言いますが、アシェラッドは「アルトリウスの名において〜」です。

アシェラッドはこのアルトリウス、つまり優秀な王をずっと探していましたが一向に現れないため、ある時に自分で作り出すこと必要があることを悟ります。アシェラッドがアルトリウスになる素質があると認めたのはトールズとクヌートです。アシェラッドは本人が自覚する特技として、人の顔を見るだけでその本質を見抜くことができます。正確に言えば、その人の「目」です。実は同じことがトルケルにもできます。トルケルもトールズとクヌートが特別な存在であることを感じ取って行動しているからですね。「不思議な目の光」と表現していました。トールズとクヌートの人物像から、アシェラッドが求めていたものを探れます。

超平和主義のトールズ

アシェラッドは、トールズと対峙して「本当の戦士に剣などいらぬ」と言われた時に様子が変わって何かに気づいたような表情をし、アシェラッド兵団の隊長にならないかと提案します。そして致命傷を負わせた後もじっと見守ったり「手前らクソガキ100人でも、釣りのくる死だ。」と言ったりするなど、トールズの死を惜しんでいます。つまりトールズはアシェラッドにとって評価に値する人物だったのです。

トールズはもともと屈強なヨームの戦士団の戦隊長です。トルケルよりも強く、単純な戦闘力では作中最強です。そんなトールズは家族ができたことがきっかけなのかは分かりませんが、ある時に人を殺したり争ったりするのが嫌になって、戦場から逃げ出して家族と辺境の地アイスランドで暮らすようになります。絵を見てみるとヨームの戦士だった頃は険しい目をしていますが、その後は独特の丸みを帯びた優しい目になっています。

逃げ出した後の考え方は、「本当の戦士には剣などいらぬ」「敵などいない、誰にも敵などいないんだ」です。超平和主義ですね。本当の戦士とは強い戦士のことです。つまり強いから、剣がなくても相手をねじ伏せることができて自分の身の安全を守れるから「剣などいらぬ」のです。「敵などいない」の意味は謎です。結局アシェラッドとは死ぬ前に戦っていますし。

つまり希望としては「戦うのが嫌」ということです。しかし現実には戦う必要があったためトールズは自分の願いと現実の狭間でどうしようもない状態になっていたようです。アシェラッドが感じ取ったのはこの「平和願望、本当は戦いたくない」という気持ちかもしれません

「愛=無機質」を体現するクヌート

クヌートはある時に一気に変化しますが、アシェラッドはその前から、目を見た段階で王の器として認めていました。クヌートを進化させるためにラグナルを殺します。

クヌートは元々、臆病な温室で育った王子でした(無能というわけではなく思慮深さは持っていました)。それが親代わりであったラグナルの死から使命を悟ったかのように突然変貌します。きっかけは僧侶との会話です。

僧侶は、クヌートが愛してくれていると感じていたラグナルの「大切に思う気持ち」は「愛」ではなく「差別」で「王にへつらい奴隷に鞭打つのと対して変わらない」と言います。愛とは「憎むことも奪うこともなく惜しみなく他者に与えるもの」=「死体、雪、太陽、風、木々、山々」=「神の御技である美しいもの」です。その反対が人間です。理解が難しい感性ですね。プラスやマイナスではなく、「何かに特別な感情を抱いているかどうか」で愛かどうかを区別しているわけです。

このやりとりで「わかってきた。まるで霧が晴れていくようだ。」と言った後からクヌートは変化して感情が消えたようになって物事に動じなくなり自分が王になることを使命とするようになります。つまりクヌートは自分自身が「愛」になろうとしているようです。

アシェラッドが求めるアルトリウスとしての器

つまりアシェラッドが君主として認める器は、「平和主義」や「愛=無機質、無感情」です。この2つを組み合わせると、システム(法律)のようなものになりそうです。ルールに感情はありませんし平等に分け与えるものですからね。ちなみにトールズは強いですが感情の揺れは激しく描かれていました。対するクヌートは進化後に関しては感情のなさを強調して描かれていました。

今後、アシェラッドに認められたクヌートがアルトリウスのような理想の君主となれるのか注目です。最終話では様々な伏線を張る映像が含まれていましたし、続編が楽しみですね。